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The Man

尹 晶煥Yoon Jong Hwan

1996年3月、アトランタ五輪アジア最終予選決勝の舞台裏
「日本戦だけは、何としても」

Vol.300AUG 2020

尹 晶煥

——尹さんと言えば、僕の中では1996年に行われたアトランタ五輪アジア最終予選の決勝を今でも鮮明に記憶しているんですが……。

日本との決勝ですね。

——はい。あの試合を観て、びっくりしたんです。キャプテンマークを巻いた韓国の8番は、いわゆる“韓国人選手ぽさ”がまったく感じらなかったというか。つまり、「強さ」じゃなく「うまさ」が際立つ選手でした。

身体が小さかったので、大きい選手に勝つためにはどうすればいいかを常に考えていた少年時代でした。自分だけの武器があることを感じていたので、それを活かすための努力は惜しまなかったと思います。

——自分だけの武器というのは、つまり技術的な部分ですよね。

そうです。ただ、サッカーをやる上ではパスの出し手である自分に対して“受け手”も必要ですから、自分の能力を引き出してくれる選手をうまく見つけて、うまく利用することができたことは間違いないと言えるかもしれません。韓国ではものすごく激しいマークを受け続けていたのですが、だからと言ってパワーで対抗できるものではないから“頭”を使ったのでしょう。それについては、多くの人がイメージする韓国人プレーヤーと少し違った部分だった気がします。

尹 晶煥
尹 晶煥

——ちなみに、あの日本との決勝戦は尹さんにとってはどういう思い出ですか?

韓国も日本も決勝に進出したことでアトランタ五輪への出場権を手に入れていたのですが、やっぱり、どんな状況であれ“日本と対戦する決勝”においてはものすごいプレッシャーがありました。あの頃はまだ、特に日本戦だけは何としても勝たなければいけないという雰囲気がありましたね。それまでの歴史であり、選手たちに受け継がれてきたものが大きく影響していたんだと思います。韓国サッカー界全体として、そういう雰囲気は確かにありました。

当時のU-23韓国代表を率いていたのは監督(アナトリー・ブイショベツ/ウクライナ)はそのあたりの事情や背景をよくわかってなかった気がするのですが、世論や雰囲気によって、最終的にはかなりのプレッシャーを感じていたのではないかと思います。

——なるほど。結果としては韓国が2-1で勝利したわけですけれど、僕はあの試合を観て“日本人の弱さ”を痛感しました。どちらも五輪出場権を獲得した状況での試合で、でも明らかに韓国のほうが気持ちが入っていた気がします。

そうですか? どうでしょう(笑)

——韓国の先制点は、尹さんのFKから生まれましたゴールでした。

そうでしたね。ああいう試合でも絶対に手を抜かない韓国の“伝統”が、いつ、どのようにして始まったのかについてはまったくわかりません。でも、実際に戦っている自分たちにも、自然とスイッチが入るような感覚が確かにありました。あの頃から、技術的には日本のほうが上だったと思います。でも、精神的、肉体的な部分についてはそうならなかった。1試合で終わる決勝戦でしたから、そこにすべてを注ぎ込むという我々の気持ちの強さは、ものすごいものがありました。差があったとしたなら、その部分かもしれませんね。

尹 晶煥

——ちなみに、試合直後の様子はどんな感じだったんでしょう? やっぱり、「日本に勝ったぞ!」という雰囲気になりますよね。

そうですね……。日本の皆さんには申し訳ないのですが、そういう雰囲気になりました(笑)。もちろん優勝したことに対する素直な喜びが大部分を締めていたし、自分たちの力で何かを成し遂げたという達成感みたいなものも強かった。その上で、相手が日本だったわけですから、いろいろなプレッシャーを感じながら臨んだ試合に勝つことができて、ホッとしたというのが正直なところだったと思います。

他の選手はどう思っていたかわかりませんが、実は、僕自身は決勝に日本ではなくサウジアラビアが上がってくることを望んでいたんですよ。それまでのスケジュールがものすごくタイトでみんな疲れ切っていたし、相手がサウジアラビアなら、たとえ決勝で負けてしまったとしてもそれほど叩かれることはありませんから。

——素敵なエピソードです(笑)

まあ、「今となっては」の話ですよ(笑)。準決勝に勝利したことで最低限のノルマである五輪出場権は獲得していたわけですから、できれば、決勝は余計なプレッシャーを感じることなく戦いたかった。だから、日本が勝ち上がってきたと知った時は、改めて気合を入れ直しました。我々にとってあの決勝戦は、そういう試合でした。