人間として成長すること
少しずつ答えに近づいてきた感覚がある。
背番号10の価値。必ずそれを示す。
インタビュー・文=細江克弥

―― 改めて振り返っても大宮戦(第25節)の勝利はチームにとって大きかった。だけど横山選手の出場機会はなかった。それについてはどう感じていた? チームとしてというより、個人としてどういうメンタリティーだったのかを聞きたくて。
勝った瞬間は……うーん……これはもう、人間として成長できるチャンスだなと思いました。
―― 本心で?
本心です(笑)。試合が終わった直後にそう思った……というか、でもまあ、もちろん“思い込ませた”みたいなところもあるんですけどね。あの試合については4人目の選手交代が決まったくらいのタイミングで「このままなら(自分の出番は)ないかも」と感じていたので、その状況の中で、自分がどう振る舞うべきかを考えていました。
―― 単純に悔しいという気持ちはもちろん、いろいろな感情があったんじゃないかと察することはできる。人間的成長という意味で、そういう感情に勝つことができた?
いや、今日の時点ではまだ、「完全に勝った」と思えるほどじゃないです。細江さんとはこういう話をしてきているからわかってもらえると思うんですけど、ここで言うところの「人間的成長」って、チームの一員としての“あるべき姿”じゃないですか。つまり、周りからの見られ方のこと。シンプルに言えば、チームの和を乱すような態度を取らない。でも、それができたからといって、僕自身の本質的なところは変わらないし、変えなくていいと思っていて。
―― もちろん理解しています。ちなみに「本質的なところ」というのは……。
自分のことだけ考えるということです。
―― そこは絶対に変わらないとして、でも、もう一方では“表面的な人間的成長”に対する意識が変わってきたということですよね?
ですね。だいぶ変わってきたと思います。
そもそも、ちょっと前までは表面的にも隠せないほど「チームなんて」と思っていたのが本心だったし、むしろ、チームに対する配慮みたいなものを表面的に見せようとすると、自分自身の中にある本質的なエネルギーというか、自分自身の成長に対する欲求みたいなものが薄れてしまうような気がして、それがイヤだったんですよ。
―― わかります。
特に、僕の場合は悔しさが次のエネルギーに変わることがわかっているからこそ、自分の素直な感情を大事にしたい。その悔しさは“チーム”よりも“自分”に対して感じるものだから、悔しいと感じたらとことん悔しがりたい。だから、周りの人がどう思おうがそれをストレートに表現するところがあったじゃないですか。
―― ありました。でも、まさにそのスタンスが横山選手の魅力だし、そのスタンスがあるからこそ、ここまで這い上がってこられたんだろうなと想像できる。だから、それについてはむしろ「ぜんぜんいいじゃん!」と思うんですけどね。
そう言ってもらえると嬉しいです。
―― ただ、そういう自分をさらに上に引き上げるためには、やっぱり表面的なコントロールのうまさも必要じゃないかと思うところもある。
自分でもそう思うようになってきたからこそ、大宮戦の直後もちゃんと笑顔を作れていたんじゃないかと。でもまあ、一瞬で真顔に戻れる自信がある笑顔なんですけど(笑)。
―― それでいいと思う。
正直、自分自身のことだけで言えば状況は悪くなっていると思うんですよ。いわき戦はスタメンだったけど前半で交代させられてしまって、次の大宮戦では出場機会がなかったわけだから。チームがすごくいい形で勝ったことを考えれば、自分自身の状況はそれまでとはちょっと違うものになりつつある。
それがわかっているからこそ、自分の中にある不安とか、イライラしたりモヤモヤしたりする感情が出てくるじゃないですか。でも、それは当たり前のことで、ある意味、自分ではどうすることもできない。
―― うん。そうですよね。
そう考えると、こういう状況で自分自身にできることは、単純に自分自身がサッカー選手として、人間として成長することしかないなと。それが直接的にチームの役に立つかどうかはわからないけれど、たとえそうじゃなくても、今後も続いていく人生の中でいつか生かせるように成長し続けるしかない。ポジティブにそう信じる。そこが大事なんじゃないかと。

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