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2015 December12

2015.12.8 UPDATE

鈴木隆行選手引退会見レポート(動画全編公開)

レポート

本日ユナイテッドパークで行われた、鈴木隆行選手の引退会見をレポートとダイジェスト動画でお送りいたします。なお、会見動画の全編は明日8日にUNITED ONLINE(有料コンテンツ)でお送りいたします。



【鈴木選手挨拶】

「本日はお忙しい中、こんなにたくさんのメディア関係者の皆様にお集まりいただき、ありがとうございます。わたくし鈴木隆行は今シーズンをもちまして引退することを決断いたしました。21年間という長い間プレーしてきましたが、本当にたくさんの人たちに支えていただきプレーすることができました。本当にありがとうございました。」


【質疑応答】

――鈴木選手はご自身をどんなストライカーだったとお考えですか?

皆さんお分かりかと思いますが、(サッカー)センスがあったりとか巧さを売りにしているプレーヤーではなく、球際だったり競り合いで頑張る、勝てる、気持ちの面でも負けないということを自分の中では大切にしてきました。そういうプレー以外は出来ない選手だったので、おのずとそれが自分の武器になったと思います。

――鈴木選手の経験を、これからの後輩や今の日本代表にどんな風に伝えていきたいとお考えですか?

日本代表に(何かを)伝えるという立場ではないですが、みなさんもご存知のとおり、ずっと試合に出て活躍していた選手ではないし、むしろ試合に出ていなかったことの方が多くて、でもその中でも代表にも選ばれて試合にもたくさん出場させていただきました。色々な状況に立たされてきたので、色々な立場の選手の気持ちが理解できたり、今迷ってることであったり、悩んでいることや苦しんでることは凄く分かると思うので、そういう部分を理解して一緒に歩んでいけるような人間、指導者になっていきたいと思っています。

――引退後にやりたいことを教えてください。

若い頃は、引退した後はサッカーに関係する仕事には就きたくないと思っていたのですが、最近はサッカーに携わる仕事に就きたいし、自分の経験を活かしてしっかり勉強して、指導者の道に進みたいという気持ちが非常に強いです。

――現役時代に一番印象に残っているプレーや試合を教えてください。

リーグ戦でゴールを決めた試合や、J1参入決定戦でゴールを決めたこと、ワールドカップで点数を決めた試合もありますが、一番印象に残ってる試合はベルギーやセルビアに行ったときに、満員の観客の中で紙吹雪が舞って発煙筒がたかれて、すごい熱気の中で自分が(ピッチに)入場していったときに、「サッカーやっていて良かったな」と強く思ったのを今でも覚えています。それが(自分の)サッカー人生の中で一番感動したかなと思う場面でした。
ワールドカップももちろん凄いことですが、苦しさ(ばかり)があったのでそれほど「良かった」というイメージが僕にはなくて、ヨーロッパでのことが自分の中では良いイメージとして残っています。

――「苦しさがあった」とはどのような苦しさだったのでしょうか。

21年間プレーしてきたのですが、常に苦しかったです。もちろん試合に出てなかったということもありますし、試合に出たとしてもプレッシャーがある中で戦わなければいけないですし、もちろん結果も求められてその期待に応えなければいけないという苦しさもありました。代表に選ばれてプレーをしていたのに、次の年に(自分のクラブで)試合に出られないとか、今年に限っては引退も近い中で試合に出られないとか、常にそういう苦しさを伴いながらプレーしていました。でも自分の中ではその苦しさがすごく嬉しかったというか、苦しさを乗り越えていって自分を変えていきたい、苦しさを乗り越えないと(自分を)変えられないと思っていたので、苦しい中でプレーしていても、こんな経験が出来て「いい人生だな」という風には常に思っていました。



――引退を決断した理由や背景を教えてください。

10月頃だったと思いますが、練習が終わった後にふと「引退しよう」と思いました。
今まで21年間プレーしてきて、(所属する)チームが決まってなくても、どんな状況になったとしても「辞めたくないな」とずっと思っていたのですが、今年の10月に「辞めよう」と思って決断しました。
「次に進みたい」という気持ちが凄く強くなって、それが「プレーしたい」という気持ちを超えたのだと思います。

――アメリカから帰国後、水戸ホーリーホックで4年、ジェフユナイテッド千葉で1年プレーされた5年間を振り返っていただけますか?

アメリカから一時帰国した日の翌日に、震災(東日本大震災)が起きました。
みなさんもご存知のとおり(被災地が)あのような状況になって、(アメリカに)帰りたくないと思いました。それで何か(自分に)できることがないかを探したのですが、結局はサッカーしか出来なくて、サッカーを通じて少しでも地元(茨城県)のためになれればと思って(水戸で)プレーすることになりました。
でも「自分が何かをしたい」と思っていましたが、逆に勉強させてもらうことや支えていただくことがたくさんあって、いつの間にか自分が何かをするのではなく自分が支えられていました。人間としてもまだまだだなと思ったし、力も何も全然ないなと思いながら4年間プレーをしていました。

今年はジェフでプレーさせていただいたのですが、「もう1年プレーさせていただける」という感謝の気持ちが強くて、「必ず昇格させて力になりたい」という強い気持ちで臨みましたが、残念ながら力になれず本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです。自分が与えるというよりも、自分が勉強させていただき、支えていただいた5年間でした。

――現役時代を振り返ってやり残したことがあれば教えてください。

やり残したことはないです。後悔もないですし、どんなに苦しい状況でも勇気を持って前に進みました。そういう(やり残したという)気持ちはまったくないです。

――先日鹿島アントラーズに引退の報告に行かれたと思いますが、そのときはどんな報告をしたのでしょうか。また、どんな言葉をもらったのでしょうか。

高校のときに僕を拾ってくれてすごく親身になって(自分を)育ててくれたクラブなので、「引退します」ということを報告してきました。

――日本国内でプレーするという選択肢もある中で、セルビアやベルギー、アメリカなどで長年プレーできた理由と、なぜそれが可能だったのかを振り返ってお聞かせください。

一番はすごく好奇心が強い人間だということだと思います。自分の知らないものや国、食べ物、人などを常に見たいという気持ちが強くて、とにかく外に出ていきたいという思いのある人間なので、とにかくチャンスがあったらどこでも良いから海外に出ていきたいと思っていました。もちろんサッカーが上手くなりたい、一番を目指したいという気持ちも並行してあるのですが、チャンスがあればどこにでも出ていこうと常に思っていました。
今も同じように強い気持ちを持っているので、今後もチャンスがあればどんどん(海外にも)出ていこうと思っています。また、(自分は)すごく幸運だったと思います。でもそれは自分に常に前に進もうという気持ちがあったからこそだと思います。諦めたり、「やっぱり苦しいな」と思って後向きになったら、多分行くことができなかった(海外の)チームが何チームかあったと思います。そこで頑張って前に進もうという強い気持ちを持っていたので、チャンスを掴むことができたんだと思います。



――指導者を目指すということだが、保有しているライセンスについて、将来的にはどこで指導していきたいという希望があるのか、また、自分が指導を受けて印象に残っている指導者は。

現時点ではJFAが発行しているA級ライセンスを取得していて、希望するチームはありませんが、しっかりと勉強してプロのサッカーチームの監督を目指してやっていきたいと思っています。国内に問わず、海外でもチャンスがあればどんどん出ていきたいという情熱もありますし、常にチャレンジしていきたい。家族もいますが、そこは説得します。(笑)

印象に残っている指導者は、セルビア(当時:セルビアモンテネグロ)のワルテル・ゼンガ監督(元イタリア代表GK)が一番印象に残っています。凄く厳しくて怖い監督でしたが、皆に愛されていたし、この監督の為に戦おうとチームが一丸となっていたのが凄く衝撃的で、カリスマ性だけでこんなにもチームが引っ張れるのかと感じました。こういう監督像があるのだなと勉強になり、今でも凄く好きな監督です。

――ジェフサポーターは、98年のJ1参入決定戦(アビスパ福岡戦)でのゴールを覚えているし、感謝していると思います。短い期間でしたが、ジェフのサポーターの思い出やメッセージは。

それほど試合に出場することはできませんでしたが、毎試合スタジアムにたくさんのファンの方が詰めかけて応援していただいて、不甲斐ない試合もたくさんあった中でも温かい声援を送り続けていただいて、凄く良いサポーターだなと毎試合思っていました。
僕自身プレーヤーとしては終わって、プレーヤーとして貢献することはできませんが、常にジェフを見守っていますし、何かあればジェフがJ1昇格できるように、小さいことかもしれないですが協力できることがあればしていくので、ジェフを離れずにずっと末永く応援していただけたらと思います。

――紆余曲折あった中でもサッカーの中で今後も生きていくという意味で、現時点で鈴木選手にとってサッカーの魅力は?

苦しいものをみんなで乗り越えていって成功したときにみんなでその喜びを分かち合えるということです。一人でうまくいったとしても限られた喜びですが、関係者がたくさんいればいるほど喜びあえるし、それが病みつきですね。うまくいったときにみんなが喜んでくれる。それが忘れられないで今までやってきています。



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