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2019 October10

2019.10.18 UPDATE

2ページ: 質疑応答(1)(佐藤勇人選手 現役引退会見)

レポート

ここから、報道・メディアの方々からの質問に答えます。


―― まだ今シーズン終わっていないので、分からないことも多々あるとは思いますが、今後引退した後のプランというか、どうやってクラブと関わっていくのか、どのような人生設計を描いているのか教えてください。

クラブとの細かい話はこれからになると思うんですけど、自分の思いはクラブに伝えさせていただきました。やはり自分はここのアカデミー出身で、サッカー人生このクラブと共に歩んできたので、このクラブの未来のために自分は力になりたいと、その話はさせていただきました。これからその辺の細かい話はクラブと話し合いながら決めることになると思いますけど、自分の思いはやはりこのクラブは誰からも必要とされるクラブ、強いチームとか優勝するチームとか、それ以上に皆さんの生活において必要とされるクラブ、そうなってもらえるように自分は力を尽くしたいと思います。

―― 以前にお話をおうかいした際、寿人選手が広島にいたときに「自分は最後は寿人選手と一緒にプレーしたい」というお話をされていましたが、最後のシーズンに寿人選手とプレーできたことに関しては、今どのような思いですか。

う~ん。その質問は来るなと思って(笑)、多少準備はしてきたんですけど。

まずは寿人という存在は、双子であり家族であり親友でありライバルであり、彼とこのクラブでスタートして、12歳から一緒にやっていましたし、プロのキャリアもここでスタートしましたし、まあそんな中で最後一緒にジェフでプレーできることが決まったときは、寿人本人も伝えましたけど、正直複雑でした。それは自分と寿人の関係だけでこのクラブのためになるのか、やはり結果が出ていないシーズンがずっと続いていて、もっとこう、若い世代、そういう選手が必要なんじゃないかって、そういう思いがあって、寿人ともその話はしました。ただ帰ってきてくれてからの練習の態度とか取り組みに関しては、やはり彼の人間としての素晴らしさ、プロとしての素晴らしさを感じることができて、クラブのために100%トレーニングから励んでくれてすごく感謝しています。それとともに、寿人と共にプレーできたこの最後のシーズンがこのような結果になっていることに、とても悔しい思いです。

―― 20年間サッカー選手として第一線でやられているというのは、選手冥利に尽きるといいますか幸せなことだと思いますが、どんな信念やポリシーを持ってここまでプレーしてきたのでしょうか。

多分ご存知の方もいると思うんですけど、自分“佐藤勇人”という人間は、プロに入る前から問題を多く抱えていまして、このクラブの人たちに助けてもらいながら、プロ生活がスタートして、スタートした当時はまだ勘違いしたバカ野郎でしたけど、少しずつ少しずつクラブのために何ができるのか、ジェフというクラブは自分にとって何なのか、最後はずっとこのクラブのために自分はピッチで死んでもいいという覚悟を持って毎日を過ごしていましたし、本音を言えば、このクラブを昇格させてユニフォームを脱ぎたかったと思っています。なのでプロ生活20年というのは、どうだったのかは先ほど話したように、今は後悔しかないですけども、もしかしたら自分の背中を見て、アカデミーの子どもたちが将来のジェフのために、「俺らがトップチームを強くしてやるんだ、魅力あるクラブにしてやるんだ」という思いを少しでも持ってくれて、それを目指してくれて、一人でも多くトップに上がってくる選手が出てきたときに、自分のサッカーキャリアは後悔から喜びに変わるかもしれません。

―― 後悔しかない、後悔ばかりだというお話ですが、ご自身で20年間プレーしてきて誇りに思うことはどんなことがありますか?

そうですね。やはりしつこくなっちゃうかもしれないんですけど、2年間京都でお世話になりましたけど、18年間このクラブのエンブレムを背負って戦えたこと、それが自分にとってすごく誇りです。

―― 個人的にまだ辞めることないのにとも思ったりするんですけど、いろいろタイミングをここ数年ずっと考えてこられたことだと思うし、もちろんできればJ1に上げてからという選択肢が一番にある中で、今シーズンの半分の段階の順位によって決めたという、その葛藤みたいなところをもう少し詳しく教えていただけますか。

今シーズン始まるときに、もう自分の中である程度決めていたのは、「シーズンの半分が終わるときに決めよう」と。チームがどの場所にいるか、それが全てかなと。それが自分の最後の価値じゃないですけど、それで決めようと思っていたので。なのでそのような決断をしました。

―― そのタイミングについては、続けるかどうかの選択肢というのは迷いなく捨ててしまったということですか?

シーズンが半分終わったときに昇格を狙える順位とか、良い位置にいたら、この引退発表はしなかったと思いますし、自分なりのけじめですね。「1年でジェフをJ1に戻す」とかっこいいことを言って戻ってきた自分が10年も上げることができなくて、来シーズンもJ2で戦う、そのけじめです。

―― 奥さまと寿人選手にお話されたということでしたが、もう少し詳しくその辺りのことを教えていただけますでしょうか。

妻のほうは「試合を見ているとあんなに走れるのになんで辞めるの?まだできるでしょ」と。自分の性格も知っていますし、ジェフに対する思いも知っているので、「なんであなたがそんなに背負うの?」とかそういうことをはじめのほうは言われましたけど、まあ自分の思いを伝えたときには、最後には「あなたはかっこつけるから、かっこよく終わりたいんだね」と言われました。 寿人に関しては毎日一緒にトレーニングして、試合もそうですし、トレーニングからチームではデータを取っていて、毎朝クラブハウスに貼り出されるんですけど、「勇人がいつも一人で一番走っているのに(引退を決意するのは)分からない。でも勇人が決めた決断だからそれは尊重する」という、そういう話を1時間ちょっとですかね、二人でコーヒー飲みながら話しました。

―― “走る”っていうキーワードは、ジェフにとってもすごく重要なキーワードだと思いますし、勇人選手のキャリアにおいても重要な能力だったと思うのですが、その“走る”ということに対してこだわりがあれば教えてください。

そうですね。自分はそこまでプロに入ったときも、走るということに対してあまり考えたことがなかったんですけど、あるとき2mくらいの大きな人(笑)が来たときに、走ることの重要さをものすごく学びました。その方から一言も褒められることはなかったですけど、数年前ある本を読んで自分のことに触れていて「佐藤勇人はチームのために死ぬ覚悟を持って常にいた」と。それを見たときには、自分の走ることの重要性を教えてくれた人が、そういう風に評価してくれたことがすごく嬉しかったですし、まだ走りたいなと思って今に至っています。ただピッチの上では走れなくなるかもしれませんけど、ジェフというクラブのためには、ピッチ以外でも走れると思いますし、引き続きそこは、誰よりも走っていきたいなと思っています。



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