FUKUDA DENSHI ARENA 20th

FUKUDA DENSHI ARENA 20th

SPECIAL INTERVIEW スペシャルインタビュー

イコール、責任。

DF 24 鳥海晃司 × CUO 佐藤勇人
イコール、責任。 DF 24 鳥海晃司 × CUO 佐藤勇人

あの光景に感動した

フクアリ開場時、佐藤勇人は23歳。鳥海晃司は10歳。
あれから20年。その歴史を紡いできた2人に
フクアリへの思いを聞いた。
インタビュー・文=細江克弥


イコール、責任。 DF 24 鳥海晃司 × CUO 佐藤勇人

―― フクダ電子アリーナの開場は2005年。当時は勇人さんが23歳、鳥海選手が10歳。

勇人おお(笑)

鳥海10歳か……(笑)

―― オープニングゲームとなった横浜F・マリノス戦(2005年J1リーグ第27節)のことは語られることが多いと思うんですけど、約1カ月前の9月7日に柏レイソルとのトレーニングマッチが行われているそうですね。

勇人え? そんなのありましたっけ? 覚えてない……。自分が覚えているのは、フクアリの完成前、監督の(イビチャ)オシムさんと一緒に工事を見に行ったことです。選手何人かで、ヘルメットかぶって(笑)。やっぱり、楽しみで仕方なかったし、オープニングゲームの横浜F・マリノス戦を迎えるまでの1週間のワクワクを今でもはっきりと覚えていますよ。試合に向かうまでのルーティーンがまったく違うし、どれだけのお客さんが来てくれるんだろうという不安もあったり。

―― その不安もあったんですね。

勇人ありました。市原臨海競技場(現在の名称はゼットエーオリプリスタジアム)時代は、優勝争いをしてもぜんぜんお客さんが増えなくて、それがすごく悔しかったので。サッカー専用スタジアムになったらどう変わるんだろうと思っていたし、そこに一番ワクワクしていた気がします。

―― 実際はどうだった?

勇人スタジアムに入るバスの中から見たんですよ。ものすごい数の人がフクアリに向かって歩いている光景を。マジでそれに感動しました。ついにこういう光景を見られる日が来たのかって。

―― 鳥海選手は当時小学4年生。地元・木更津の少年サッカーチーム「FCウーノ木更津」でサッカーをやっていた。

鳥海そうですね。オープニングゲームではないんですけど、僕は8歳か9歳からジェフの辰巳台スクールに通っていて、当時、スクール生はジェフの試合を無料で観戦させてもらえたんですよね。だから市原臨海にもよく行っていましたし、フクアリになってからも何度も行きました。

勇人市原臨海からフクアリに変わったことのギャップは小学生ながらに感じたんじゃない?

鳥海あまり覚えてないんですけど……スクール生としての観戦という意味では市原臨海のほうが印象が強いんですよね。勇人さんはもちろんですけど、阿部勇樹さんや水野晃樹さんが好きでした。当時の自分はボランチのポジションでプレーしていたので。

―― きっとそういう子どもたちがたくさんいたわけで、選手としては身が引き締まる思いもあったのでは?

勇人ありましたね。フクアリになったからといって何かを変えるわけじゃないけど、あのタイミングで自分たちが情けないプレーをしたら本当にお客さんが来なくなってしまうと思っていたので。ピッチに立った時の景色がぜんぜん違うんですよ。あの変化を体感して責任感が芽生えない選手は……もうダメですね(笑)。ただ、オシムさんがそういう人だったので、当時のチームは自然とチーム全員がそういう感覚を持っていたと思います。オシムさんは「なんのために」とか「なぜ」ということを突き詰めてそれを伝える人なので、フクアリでプレーすることの意味は、かなり強く持っていたんじゃないかなと。

イコール、責任。 DF 24 鳥海晃司 × CUO 佐藤勇人

―― 鳥海選手は中学生からジェフに加入して、まずは育成年代の6年間をここで過ごした。

鳥海アカデミー時代にフクアリで試合をすることはなかったので、フクアリに行く時はトップチームの試合観戦かボールパーソンという感じでした。印象に残っているのは……やっぱり“奇跡の残留”ですよね。

―― 2008シーズン最終節のFC東京戦。

鳥海はい。当時13歳だったと思うんですけど。

―― どういう記憶として残っている?

鳥海めっちゃ鳥肌が立ったし、めっちゃ楽しかったことを覚えてます。あの試合はジュニアユースのみんなと観戦していたんですけど、2点取られて、でもどんどん追いついていって、携帯電話で他会場の結果をチェックしながら「いけるいける!」ってみんなで叫んで。スタジアムの雰囲気がものすごかったじゃないですか。あの試合はすごかったですよね。


勇人さんを引退させてしまった

イコール、責任。 DF 24 鳥海晃司 × CUO 佐藤勇人

―― 鳥海選手のプロデビューは、あの“軌跡の残留”から10年後の2018年ということになりますね。デビュー戦は2018シーズン開幕戦、アウェイの東京ヴェルディ戦でした。ベンチスタートだったけれど、アクシデントによってすぐに出場することになって……。

鳥海マスさん(増嶋竜也)が退場しちゃうんですよね(笑)。確か9分だったと思うんですけど。

勇人ああ! あったね!(笑)

鳥海ああいう感じだったので、試合に出られるからといって「ラッキー」みたいな感情はまったくなかったですよ。やるしかないという感じでした。

―― そのまま第2節のホーム開幕戦となった水戸ホーリーホック戦でフクアリデビュー。

鳥海自分はそんなに緊張するタイプじゃなかったんですけど、フクアリでプレーする時はめちゃくちゃ緊張しました。プレッシャーを感じていたし、子どもの頃から見ていた世界に自分が飛び込んでしまったという感じで、ちょっとふわふわしてしまうところがあったというか。むしろアウェイゲームのほうが伸び伸びプレーできる感覚はありました。最初の頃は特に。

―― どのくらいの時期からそういう感覚に慣れた?

鳥海いや、ぶっちゃけ、今もそんなに変わらないんですよ。フクアリでプレーする時だけは特別な感情になる。たぶんそれって人によると思うんです。アカデミー出身選手が全員そうなるわけじゃなくて。僕自身、アカデミー時代もずっと“1番の選手”じゃなかったので、トップチームには昇格することができなかったし、だからこそ憧れが強いところがあって。その思いが今になってもあまり変わっていないことに自分でも驚いているんですけど。

―― 結局、1年目は24試合に出場しました。

鳥海試合にはある程度出させてもらっていたんですけど、やっぱり、僕自身のトップチームに対する憧れの気持ちが強すぎて、そういうメンタリティーを変えるのが難しかったですね。それから……あの年は食事の制限がかなり厳しくて、それにもびっくりしてしまって。

勇人だろうな(笑)。1年目のトリの印象は「ちょっと優しすぎるかな」という感じだった。プレーヤーとしてのポテンシャルは素晴らしかったけど、とにかく周囲に気を遣いすぎるところがあって、遠慮しながらやっている感じがあって、そこがどうかなと。アカデミー出身の選手として、いずれリーダーになってほしいと思っていたから、トリがどう変わっていくかについては楽しみにしていたんだけど。

―― 2人が一緒にプレーしたのは2018年と2019年の2年間。勇人さんのキャリアの終盤は苦しい時間のほうが圧倒的に多かった。フクアリで感じるプレッシャーみたいなものは、やっぱりあったと思うんですけど。

勇人うーん……でもやっぱり、自分にとってフクアリは「ピッチに立つべき場所」なんですよね。特に現役時代はスタンドからピッチを見下ろすこと自体がメンタル的にキツくて、その機会が増えてきた2018年はやっぱりかなりキツかった。しかも、あの時期ってチームが追い込まれてかなり苦しい時に自分に出番が回ってくることが多かったじゃないですか。とにかくチームに余裕がなかったので、いろんな感情と向き合わなければならない時期でした。

―― 勇人さんは翌2019シーズン限りで現役引退。鳥海選手はどんなことを考えながらその様子を見ていた?

鳥海いや、もう、自分たちが勇人さんを引退させてしまったという気持ちですよね。たぶん、みんなが同じことを思っていたんじゃないかと思うんですけど。

勇人そんなことはないんだけど、最終節終了後の引退セレモニーでアカデミーの子たちに向けたメッセージを話させてもらったんだけど、自分がやり遂げられなかったことに対する思いみたいなものは、トリも含めたアカデミー出身の選手にしか託せないと思ったんだよね。だからああいうメッセージになったんだけど、家族からは「普通、ああいう時って家族の話しない?」と突っ込まれてしまった(笑)。

鳥海いやあ、でも、やっぱり自分たちにとってはいろいろな感情が湧いてくるメッセージでした。勇人さんが引退することは夏の時点で知っていたので、勇人さんの心意気というか、ジェフに対する思いみたいなものを少しでも吸収したいと思いながら過ごしてはいたんですけど。

―― 勇人さんにとっては、あれがプロキャリアにおけるフクアリでのラストゲーム。

勇人やっぱり、寂しさはありましたね。あの日も「これで最後か」としみじみ感じながら試合に向かったことを覚えています。選手じゃなくなってから行くフクアリって、もう、“見え方”がぜんぜん違うんですよ。


実は、たくさんある

イコール、責任。 DF 24 鳥海晃司 × CUO 佐藤勇人

―― 鳥海選手は2021年にセレッソ大阪に移籍。外に出て感じるフクアリへの思いみたいなものって……。

鳥海いや、やっぱり僕にとっては初めての移籍だったし、すぐにケガをしてしまったこともあって、セレッソに行ってからはとにかくずっと必死だったんですよね。だから、ジェフを離れてからはほとんどジェフのことを考えられなかったというのが正直なところで、とにかく目の前の壁を乗り越えることだけを考えていました。

―― なるほど。本拠地が変わることって選手にとってかなり大きな変化だと思うんですけど、“やりやすいスタジアム”って、やっぱりある?

鳥海いろんな意味の「やりやすさ」があると思うんですけど、僕にとってはそれこそセレッソのヨドコウ桜スタジアムがめちゃくちゃやりやすくて。

勇人そうなんだ。それはどういう意味で?

鳥海あのスタジアムって、アウェイ側のゴール裏席がピッチからちょっと離れたところにあるんですよ。そこに屋根がないから声援が反響しないこともあって、相手サポーターの声援が届きづらくて。だから観客全員がセレッソのサポーターみたいな感覚になれるんですよね。

勇人なるほど。

鳥海それから、これはちょっと説明が難しいんですけど、個人的に、フクアリに対する“憧れの感情”みたいなものはないじゃないですか。そういう意味でのプレッシャーや緊張感はまったくなかったので、そこはぜんぜん違うなと。自分はセレッソのアカデミーで育ったわけじゃないし、だからこそ開き直ってプレーできる。セレッソに移籍してそれをかなり強く感じました。

勇人難しいよね。そういう環境の変化によってトリが選手として大きく成長したことは間違いないし。移籍してからのトリに対してはみんなが「ものすごいスピードで成長している」と口を揃えていたんだけど、そういう解放感みたいなものが引き出した部分もあっただろうし。

―― 勇人さんが好きなスタジアムは?

勇人自分は鹿島アントラーズのメルカリスタジアムですね。個人的に相性がいいという感覚が強いのと、ジェフのアカデミーに入る前、小学生の頃はアントラーズのファンだったこともあって(笑)

鳥海僕は苦手です。あそこは“アウェイ感”が強くて。

―― ちなみにフクアリの“内部”がどうなっているかについてはチーム関係者しか知らないと思うんですけど、他のスタジアムと比較して、フクアリならではの特徴ってあるんですか?

勇人それについては「どうにかしたい」と思うことがあって……実は結構たくさんある。

鳥海はは(笑)

勇人例えば、ヨーロッパのスタジアムってそれこそホーム感の演出がすごいじゃないですか。ロッカールームを出てからピッチに出るまで、ホームチームの士気を高めるような工夫があちこちにある。厳密に言えばフクアリは“借り物”なので仕方ないところもあるんですけど、やっぱりそのへんが少し寂しいなと思うんですよね。寂しいよね?

鳥海そうですね。細かいんですけど、椅子とかも……。

勇人昔からずっと変わってないから。

―― なるほど(笑)。

鳥海そういう意味では、ヨドコウ桜スタジアムは最高ですよ。ロッカールームもお風呂も完全な“セレッソ仕様”になっているので。

勇人できたばかりだから当たり前かもしれないけど、V・ファーレン長崎の「PEACE STADIUM Connected by SoftBank」も“中”の作りがすごいらしいじゃん。

鳥海ああ、そうかもしれないですね。アウェイ側のロッカールームでさえ、なんか豪華だったような……。

勇人フクアリは次の20年でそこをなんとか……期待したい(笑)。ただ、ピッチで感じるフクアリはJリーグでも屈指の素晴らしさだと思うので。

鳥海いいところは、やっぱり“音”ですよね。とにかく反響がすごいので。

勇人間違いないね。もともとはユアテックスタジアム仙台を参考にした設計ということですけど、あれだけ音が内側で大きく膨らんで、外にほとんど漏れないという作りは改めてすごいなと。それによってサッカー観戦が面白くなる部分も間違いなくあるでしょうし。


必ずやり遂げたい

イコール、責任。 DF 24 鳥海晃司 × CUO 佐藤勇人

―― 「忘れられない1試合」と言われてたら?

鳥海……。

勇人ないの?(笑)

鳥海いや……。

勇人出てこないじゃん(笑)。俺はいっぱいあるよ。こけら落としの横浜F・マリノス戦もそうだし、2006年の浦和レッズ戦(第11節)もそう。自分が胸で落として巻(誠一郎)が決めた試合ですよね。当時めちゃくちゃ強かったレッズを完全に圧倒して。試合後にレッズの選手から電話がかかってきて、「サポーターにバスを囲まれてまだスタジアムから出られないんだけど」と言われた時は、申し訳ないけどちょっと誇らしかったというか。トリ、どう?

鳥海うーん……。初ゴールはフクアリだったんですけど、相手もちゃんと覚えてないくらいで……。ファジアーノ岡山だったかなと思うんですけど……(2020年第20節)。

勇人自分の初ゴール覚えてないってすごいな(笑)。

鳥海いや、自分が選手として経験した試合より観戦した試合のほうが強く印象に残っていて、さっきからそれしか頭の中に出てこないんですよね。いや……あ、でも僕の1年目のカマタマーレ讃岐戦(2018年第5節 6-1で勝利)のことはめっちゃ覚えてますね。「こんなに点が入るんだ!」という感じで、自分がまだプロの世界に慣れていない中でみんなのことがめちゃくちゃ心強く見えた試合でした。

―― ちなみに今シーズンは?

鳥海今シーズン……。

―― かなりの決意の下にジェフに帰ってきて……。

鳥海うーん……。いや、やっぱりもう、今シーズンは必死すぎるんですよね。全部の試合が必死すぎて、どんな試合だったかさえぜんぜん覚えてなくて。とにかく結果に左右されるだけなので勝てば充実感を得られるけど、負けてしまったら最悪の気分になるだけなので。そういう意味では、シーズンが終わって、自分たちの目標がちゃんと達成されてからじゃないとフクアリに戻ってきたことの意味や価値みたいなものは感じられないんじゃないかなと思います。

―― そっか。じゃあ、以前とはまた違う感情で“フクアリ”と向き合っている。

鳥海そう思いますね。でも、きっと、みんなそういう気持ちで戦ってきたんだろうなと。勇人さんもそう。自分もそういう責任感を感じられるようになってきたのかもしれないと思うようになってきたのかなと。

勇人そっか。でも、それが正しいと思うし、今のトリの立場ならそれしかないと思う。自分も今になって、子どもたちに教える時に「サッカーを楽しもう!」と言うんだけど、実際のところ、プロになってから「サッカーが楽しい」と思ったことなんて一度もなくて。そんな余裕はどこにもなかった。責任しかなかった。

鳥海めっちゃわかります。

―― 2人にとって、フクアリでプレーすることは「=責任」と表現できる。

勇人うん。そうかもしれません。

鳥海そうですね。やっぱり、責任は重いと思います。

勇人それでいいんだよね。あのピッチに立ちたくても立てない人は数え切れないほどいて、その人たちのことを思えば“責任”でしかない。

―― フクアリ20周年を迎えた今、J1昇格争いは佳境を迎えている。何を見せたいと思いますか?

鳥海絶対にJ1昇格。それしかないです。でも、こんなにキツいなんて思ってなかったです。

―― あの頃の勇人さんの気持ちがわかる気がする?

鳥海勇人さんはもっと大変な思いをしていたと思うんですけど、本当に「すごいな」と思いました。このキツさは本当にすごい。

勇人楽しみだね。トリは楽しめないだろうけどね。

鳥海楽しめないです。ぜんぜんムリです。

勇人うん。それでも勇気を持ち続けてほしい。それだけは忘れないでほしい。

鳥海はい。頑張ります。絶対にやり遂げたいので。