REPORTER03
『フクアリ劇場』という言葉がいつ生まれたのか、定かな記憶はない。だが、いつからか、特に試合終盤のジェフサポーターの想いがこもった熱気あふれる声援がスタジアムに充満し、それに後押しされた選手が残っている以上の力を発揮してゴールを必死に守り、劇的なゴールが生まれる光景が『フクアリ劇場』と呼ばれるようになったのだと思う。
『フクアリの奇跡』と呼ばれた、2008年J1リーグ最終節のあまりにも劇的な逆転勝利も一つの『フクアリ劇場』かもしれない。だが、ジェフがそんなふうに追いこまれた状況ではなかったとしても、目に見えないパワーにジェフの選手が突き動かされ、勝利をつかみ取った印象的な試合は多い。
ヤマザキナビスコカップ初優勝でジェフとして初タイトル獲得を達成し、可能性は本当にわずかながらも5位からの逆転優勝の望みを残して迎えた2005年J1リーグ最終節・名古屋グランパスエイト戦。サイド攻撃で主導権を握るもシュートを打つ積極性を欠いた前半を経て、「負けても5位で変わらないのだから、もっとリスクを冒して攻めようとした」(坂本將貴)と後半のジェフはさらに攻勢に出た。だが、81分にロングパスからのシュートをGKの櫛野亮がセーブしたこぼれ球に詰められて失点した。しかし、88分に水野晃樹のロングスローを受けた斎藤大輔がファウルを受けてPKを得ると、89分、阿部勇樹が冷静に決めて同点。さらに、5分と表示されたロスタイムが2分を過ぎた時(公式記録は89分)、阿部、ハースとパスをつないで坂本將貴の逆転ゴールが生まれた。取材現場では泣かない主義の筆者ですら『最後まであきらめない』ジェフの戦いぶりに思わず涙ぐむような試合だった。あの瞬間の大歓声、そして興奮に沸き立ったフクアリの熱気は忘れられない。
2006年のヤマザキナビスコカップ準決勝第2戦・川崎フロンターレ戦で、延長戦後半のロスタイムに阿部勇樹が決めた勝ち越しのPKも印象的だった。だが、J2に降格してからの『フクアリ劇場』は特に印象的だ。苦しみ、もがくジェフを支えようとするサポーターの人数は一時減ったとしても、逆にそれぞれの想いの強さは増すからなのだろうか。
例はいくつもあるが、J2初年度の2010年のJ2リーグ第4節・ザスパクサツ戦では、0−1になってから交代出場した青木孝太が82分にドリブルからのシュートを決めて同点にすると、90+2分にアレックスが直接FKで逆転ゴールを奪ってフクアリが歓喜に沸いた。同じく2010年では第11節・カターレ富山戦でやはり0−1の状の85分にネットのオーバーヘッドのゴールが決まると、ジェフの敗色が濃厚だったフクアリの空気が一変。90+3分にCK後の流れからこぼれ球を拾った谷澤達也が劇的な逆転ゴールを奪った。2011年のJ2リーグ第14節・愛媛FC戦では90分、竹内彬のロングパスをオーロイがヘディングで落とし、深井正樹が強烈なボレーシュートを決めて2−1と逆転した。この試合に限らず、1点リードで残りの時間を必死に守る時の大声援も『フクアリ劇場』だった。
また、フクアリでは対戦相手にスーパーゴールが生まれることも少なくない。2006年J1リーグ第4節での清水エスパルスの市川大祐のゴールは、そこから決めるのかと驚かされた矢のようなロングシュートだった。前述の愛媛FC戦では関根永悟が思い切りのよいミドルシュートを決め、2014年のJ2リーグ第37節・大分トリニータ戦では為田大貴が見事なミドルシュートを決めた。もっともその試合では直後に森本貴幸が勝ち越しのスーパーゴールを奪い、『フクアリ劇場』となったのだが…。対戦相手のスーパーゴールは悔しいが、フクアリには対戦相手の潜在能力までも引き出すパワーが満ちているのかもしれない。
赤沼 圭子
フリーライター
赤沼 圭子 PROFILE
1992年7月にサッカー雑誌『J’LEV(ジェイレブ)』の編集部記者としてサッカー取材をスタート。1996年からジェフ市原(当時)オフィシャルイヤーブックに携わり、以降はジェフをメインに取材活動を行う。
クラブのオフィシャルプログラム『UNITED』をはじめ、これまで『週刊サッカーダイジェスト』『週刊サッカー・マガジン』『サッカーai』『Footival』『J's GOAL』などに寄稿。2002年からJリーグ登録フリーランス。2015年3月からジェフ応援メディアの有料webマガジン『ジェフ便り』(http://jef.publishers.fm/)を発行中。