#025
2018.5.11 Update!!
フラビオ
今回話を聞いたのは、昨シーズンからコンディショニング スタッフとして“フィジカルコンディション改革”を先導する男、フラビオ。
アルゼンチンを拠点としながら、世界各地を飛び回る凄腕コーチに、そのキャリアやジェフでの取り組みに関する手応えを聞いた。
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インタビュー・文=細江克弥
―― フラビオさんは昨シーズンから「コンディショニングスタッフ」としてチームのフィジカルコンディションに関するコーディネートを統括されています。まずは、ご自身の経歴から教えてください。
フラビオサッカーの世界に入ったのは、1996年のことでした。アルゼンチンのフェロカリル・オエステ(当時1部)というクラブで働き始めたことをきっかけに、2部のデポルティーボ・モロンを経て、国内屈指の名門クラブであるリーベル・プレートで6年間仕事をしました。仕事として確立できたのはこの頃です。アカデミーからトップチームまで、フィジカルコーチとしてすべてのカテゴリーをコーディネートしていました。
その後はスペインに渡り、サラゴサというクラブで仕事をしました。ジェフの監督であるフアン(エスナイデル)と仕事をしたのはこの時です。私はその後、パラグアイのセロ・ポルテーニョ、アルゼンチンのアトレティコ・ラファエラを経て、昨シーズンからジェフの仕事をさせてもらっています。
―― 世界的な名選手にかかわるお仕事をされたこともあるのでは?
フラビオアルゼンチンでは、かつてアルゼンチン代表で活躍し、「マラドーナ2世」とも言われたパブロ・アイマールという選手を見る機会もありました。彼はハムストリングス、詳しく言えば坐骨の付着部分に炎症を起こすケガをしていました。当時の私はまだリーベル・プレートで仕事をしていなかったのですが、身体のメカニックを分析したところ、走り方に問題があることがわかりました。だから、動き方、走り方を変える提案をしました。
動き方や走り方は身体に染みついたものですから、これは非常に難しいことです。例えば、マニュアル車しか運転していなかった人がオートマチック車に乗ろうとすると、ついついシフトレバーを探してしまいます。その感覚を変えるのは簡単ではありません。しかし、アイマールはフィジカル的なポテンシャルが非常に高く、私の提案を受け入れ、すぐに対応してくれました。それ以降、大きなケガはなくなりました。
―― 現在、ジェフにはどのような形でかかわっていますか?
フラビオ考え方やメソッドはもちろん、フィジカルトレーニングに関するすべてについての権限を託されています。昨シーズンは3度来日して指導を行い、今シーズンは沖縄キャンプの時に帯同しました。今シーズンは今回が2度目の来日なのですが、年内にあと2回ほど日本に来る予定です。
―― それ以外の時間は、基本的にはアルゼンチンで仕事されている?
フラビオアルゼンチンにフィジカルトレーニングを手がける会社があり、そこで選手個々のトレーニングを見たり、要望があればヨーロッパに行くこともあります。それから、専門分野に関する国際的なフォーラムに参加するため、世界のあちこちに出向くこともあります。 好きなことをやっているので、忙しくても楽しみながら仕事をしています。息子には「毎日勉強して大変だね」と言われるのですが、私にとっては、好きなことに関する情報を毎日更新しているという感覚なので、なんの問題もありません。
―― ちなみに、サッカー選手としての経験も?
フラビオプロの経験はありません。だからこそ、選手ではなくこの仕事に就いているのですよ(笑)。サッカーをやっていたことは確かですが、「プロになろう」と思えるようなレベルではありませんでした。ただ、この世界で、プロとしての仕事をしたいと思いました。スポーツに対する科学的なアプローチにも強い興味を持っていたので、フィジカルコーチとしてそれを発揮する道を選択したのです。