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#1

2020.1.20

ありがとう

佐藤勇人

ジュニアユース、ユース、そしてトップでの18年間。常にジェフとともに歩んできた。山あり谷ありの人生だったが、双子の弟・寿人の存在も大きかった。2019年、サッカー人生の一つの区切りをつけたが、大好きだったジェフとともに歩み続ける。

「アカデミー時代を一緒に過ごした仲間との絆」

移籍した期間も含めれば、20年間のプロ生活だった。ジェフジュニアユースに入ってからは26年の月日が流れた。その中で、勇人にとって大きな転機となったポイントは二つある。

「アカデミーとオシム監督との出会いですね」

そう笑顔を浮かべてから、まずはアカデミー時代を振り返った。

「アカデミー時代を一緒に過ごした彼らとの絆は深いです。みんながジェフのトップチームに上がりたくて、毎日一緒に練習して、それでも毎年のように何人かはチームを離れていく。激しい競争の中、最後まで残った数人ですら、最後はトップチームに昇格できない。そんな仲間がたくさんいる中で、自分は幸運にもトップチームに昇格することができた。その責任は大きいです。中学1年生から一緒に戦ってきたメンバーの代表として、しっかりと戦わなければいけないと思いましたし、そんなボクをみんなが応援してくれました」

仲間たちの代表が佐藤勇人であり、どんなときでもジェフを応援してくれた。最終戦のセレモニーにも多くの仲間がスタジアムまで駆けつけたのが、何より動かし難い事実だ。

「うれしかったですね。20年以上たった今でも、ああやって応援してくれる。誤解を恐れずにいえば、アカデミーから戦ってきた選手たちのクラブに対する情熱は、ほかの選手とは違います」

たとえ到達点が異なっても、厳しい競争へ一緒に挑んできたという連帯感は生まれる。

「ボクたちの学年で最終的に高校3年生まで残ったのはたった4人だった。毎日が生き残りをかけての練習だったんですよね」

まるで当時を思い出すかのように、遠くを見つめながら話を続けた。

「どうやって生き残ってきたか? 不思議ですよね。2回、サッカーを辞めているし(笑)。才能があったわけでもない。自分も寿人も中学1、2年生のときはボーダーラインだった。ずっとギリギリの状態でサッカーを続けていました」

いい環境でサッカーをやらせたいという父親の思いから、埼玉から千葉に引っ越した。そして当時、アカデミーの環境がいいといわれていたジェフに二人の息子を入れた。

「ボクは2回、セレクションに落ちているし、入ってもギリギリの状況。プロなんて夢のまた夢だと思っていた。実は、ボクはアントラーズ、寿人はヴェルディが好きでした(笑)。ボクにとって、ジーコはすごく衝撃的だった」

その状況がいつ変わったのか。

「ユースに入ってからかな。1年生で3年生の試合に出場するようになって、サテライトリーグにも出場するようになった。そこでトップチームの選手と接するようになって、だんだんとプロが現実味を帯び、目標になった」

ジェフへの愛着も日増しに強くなっていった。

「方法としては間違っているのですが、サッカー以外でもヴェルディには負けたくないという気持ちがありました。服装でも自分たちのほうが格好いいぞって(笑)。一見、バカらしいけれど、でもアカデミーの選手がクラブに対してプライドを持つのはすごく大事です。子どものころから勝ち負けにこだわる必要はないという教育方針もあるとは思いますが、同じJのクラブには、すべてにおいて負けてはいけないというプライドがあった。だから、服装からすごかった(笑)。当時はトップチームの選手よりも、アカデミー選手のほうがジェフにプライドを持っていたと思う」