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#001

2014.7.1 Update!!

ジェフ"らしさ"を想う。

佐藤勇人 × 岡本昌弘

10代の記憶

佐藤勇人

── 勇人選手と岡本選手は、学年で言うと勇人選手が2つ上。2人とも中学1年からジェフのアカデミーでプレーしていますが、そもそも、どうしてジェフを選んだんですか?

勇 人当時、自分は埼玉に住んでいて、そこでサッカーを始めました。中学校に上る前に父親がいろいろと調べてくれて、ジェフが育成に力を入れているということが分かったみたいで。それで、アカデミーに入るためのテストを受けに行きました。最初のテストでは双子の弟の寿人(サンフレッチェ広島)だけが受かって、自分は落ちたんです。でも、すぐにもう一度テストを受けて、入れることになりました。

── 1995年のことですよね。まさにJリーグ草創期。

勇 人すごく盛り上がっていた時期ですよね。ものすごい数の人がジェフのテストを受けていて、確か、500人くらいいたと思います。その中から合格したのが、たぶん35人くらいかな。ただ、テストに受かるのも大変ですけど、そこから生き残るのがもっと大変で。

── そうですよね。僕は勇人選手より2学年上で、中学時代にクラブチームでプレーしていたので、そのあたりの事情は何となく分かります。

勇 人当時のジェフの場合、学年が上がるごとに数名の選手がチームを離れなければならないというシステムがありました。だからもう、必死でした。最終的にはプロになることを目標としているんだけど、とにかく1年1年が勝負。チームメートは仲間だし、友だちなんだけど、もっとリアルな「ライバル」という雰囲気があった気がします。

岡本昌弘

── 岡本選手がジェフのアカデミーに入ったのは、その2年後。やはり同じような状況ですか?

岡 本そうですね。テストを受ける人の数はかなり多かったです。ただ、僕らの時は毎年数人がチームを去らなければならないシステムがなくなっていたので、勇人くんが感じていたような緊張感はありませんでした。もちろん、ユースに上がる際には“ふるい”にかけられるんですけど、基本的には“のほほん”とやっていた気がします。

勇 人それ、おまえだけじゃないの?(笑)

岡 本そうかも(笑)。もちろん他の選手に負けたくないという気持ちを持っていたけど、勇人くんほど強く意識するようなことはなかったかな。

── ということは、2人の出会いは勇人選手が中学3年、岡本選手が中学1年の頃ということになりますね。

岡 本でも、ジュニアユースの頃はそんなに絡んでないんですよね。

勇 人ユースになってからか。

岡 本そう。ユースに上がったら、2つ上に“ヘンな人”がいたんですよ。ここでは具体的に説明できないくらいガラが悪くて、数々の伝説を残している人が(笑)。でも、頼れる先輩でしたし、すごくカッコ良かったですよ。ガラは悪かったですけど。

勇 人強調するなよ(笑)。