#001
2015.1.20
新加入選手に聞く。
北爪健吾選手(専修大学)
─その気持ちを持って高校に進んだと思いますが、前橋育英高校を選んだのは何か理由があったんですか?
高校選手権に出られる可能性のある高校に行きたいという気持ちはありました。
県内の高校からいくつかお誘いをもらっていたんですが、育英は県外からも選手が集まってきて、そういう高いレベルの中でやっていく自信もその時はまだなかったので、正直すごく迷いました。
最終的には、レベルの高いところでチャレンジしたい、選手権に出たいという気持ちが強くなって育英を選びました。
親とは「たとえずっとBチームだったとしても3年間はサッカーを続ける」という約束をしたんですが、そのことは今でもハッキリと覚えています。
自分にとっては冒険でした。
─結果として、2年生と3年生のときに選手権に出場することになりましたね。
2年生の時はベンチでしたが、3年生のときはレギュラーとして出場することができました。
それと2年生のときにはインターハイで全国優勝することができました。試合にはあまり出ていないんですが、優勝を間近で経験したことで「サッカーで日本一になる」「自分が試合に出て日本一を獲る」ということを強く意識するようになりました。新しい世界を見ることができたという意味で強く印象に残っているのが、高校2年生のときのインターハイです。
─中学まではフォワードやサイドハーフでプレーしていたとのことでしたが、サイドバックでプレーするようになったのはこの頃ですか?
はい、高校で初めてサイトバックを経験しました。
前橋育英の山田耕介監督に守備の能力を評価してもらって、縦の上下動という自分の特徴を活かすには後ろのポジションの方がいいんじゃないかというアドバイスで、コンバートしてもらうことになりました。
─コンバートされたとき、戸惑いのようなものはありませんでしたか?
高校に入ってから守備の楽しさは感じるようになっていて、対戦相手の有名な選手を止めたときの達成感や嬉しさが新鮮で、守備という部分で自分の良さを出せるんじゃないかとなんとなく感じていました。だから戸惑いや抵抗というよりは「もっと上手い守備が出来る選手になりたい」と思っていましたね。
─サッカー選手としてさらに成長できるポジションに巡り合ったという感じだったんですね。
そうですね。試合経験もたくさん積めていますし、ビックリするくらい上手くいっている気がします。
─そして前橋育英高校から、最初に話を聞いた専修大学に進学ということになりますが、専修大学に入学した理由は?
高校を卒業するときは、プロ入りは難しいと感じていました。
でもサッカーを続けたいという思いが前提としてあって、プロを目指していくということを考えたときに、大学に進学するのが一番だと思いました。
その中で、当時の専修大学はまだ関東大学リーグ2部だったんですが、1部昇格さらに優勝を目指すというチームとしてチャレンジができる環境にあったこと、そして何より源平貴久監督(専修大学)に早くから声をかけていただいていたことが決め手になりました。
─サッカーのスタイルという部分では高校と大学に違いはありましたか?
サッカーのスタイルは似ていると思いました。パスを主体に相手を崩しながら自分たちから動いていくという意味では、そんなに抵抗なくすんなり入れたと思います。
専修の方がより攻撃的なのでそのバリエーションという面だったり、高校サッカーと大学サッカーのパススピードや判断スピードの違いに慣れるのは大変でした。
─そういう意味では、節目節目の選択が北爪選手の成長にどんどんプラスになっていったという印象を持ちました。
はい、そうだと思います。